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『20世紀少年 第2章/最後の希望』があまりにもヒドすぎて映画に対する信頼感を喪失してしまってしばらく劇場に足を運ぶことすらできなくなってしまいました。その映画に対する信頼感を取り戻してくれたのが『チェンジリング』です。

20世紀少年 第2章/最後の希望:★☆
本当にひどい有様で、映画とは呼べるシロモノではありません。上映後一緒に見に行った友達は体調を崩してさっさと帰ってしまいました。自分はこの有様の責任はいったい誰にあるのだろうか?と考えてしまいました。へたくそな子役にまともな演技指導もできない監督か?原作のダイジェストにもならない、ただのエピソードの羅列をもってして脚本とした脚本家か?あるいはちゃんと作品にケリを付けることを拒否した原作者か?多分全員悪いんだと思います。作中漫画家のウジコウジオが描いた漫画を読んでユキジが「この作品からはお二人の熱い志が伝わってまいりません」というシーンがありますが、このセリフはまさにこの作品にこそ言われるべきセリフではないでしょうか。自分はロックには詳しくはないのですが、その精神の根本には体制に対する反骨の精神があると先輩に教わりました。『20世紀少年』という作品はそのロックの精神をバックボーンに作られた作品であるはずなのに、その精神がまるで伝わってきません。むしろTV局主導の制作委員会方式で作られた無難な作品にしておきましょうというロックとは逆ベクトルのものが根元にあると思います。というかこの映画を作ってる連中がロックの精神の敵としか思えないのですが。
自分は『デスノート』のように原作から飛躍した展開を期待して前作には星3つとしましたが、見事に裏切られる形となりました。血の大みそかでの「ともだち」と友民党の暗躍をカットしてしまったことにより原作よりも「ともだち」の世界における位置づけが不明瞭になってしまい、彼が世界的なカリスマになっていることにまるで説得力がなく(というかそれ以前に顔を見せないカリスマというのも変な話なのだが、それは原作の問題なので)、彼が「神」になるシーンがあまりにも空虚なものでした。それからカンナが「最後の希望だ」とオッチョは言うけど、それは何を論拠に言ってるんだ?小泉響子がボーナスステージに行く動機付けもまるで描かれてないし、「原作読んでるからその辺は察してね」という脚本家の傲慢が腹立たしい限りでした。
しかしまさか『252』や『感染列島』よりもヒドい作品を選んで見るとは思いもしなかったよ。


チェンジリング:★★★★★
で、しばらく映画不信に陥っていたところに差し込んだ一条の光が『チェンジリング』であります!今現在アメリカの映画業界の第一線で戦う監督の中でイーストウッドこそが誰よりも力強く、観客が全幅の信頼が置ける監督であることを証明する傑作。これを映画と呼ぶなら『20世紀少年』はなんと呼べばいいのだろうか?
子供の誘拐というエンターテイメント作品として間口の広いオープニングから、女性の権利、腐敗した組織、それを変えるのは勇気ある個人と民衆の力であるという現在に通じるテーマに物語が奥行きを持って語られていきます。映画としての娯楽性と社会への啓蒙のバランス。まるで黄金期の黒澤映画を見ているような気分になりました。すべてのショットに自信が満ち溢れていてブレがない。例えばオープニングの白黒から入ってクレーンで徐々にカメラが下がって家を映し出しながら徐々にカラーになっていくシーン。たったこれだけの流れで20年代の世界に入り込んでいけます。加えて役者の見事さ。例えば精神病院の婦長!この人、撮影が終わった後は携帯でエージェントと連絡して家ではインターネット使ってるんだよ、と言われてもちょっとピンとこない顔をしてる。「20年代のロスが舞台だからちょっくら行って撮ってきたよ」(山田康雄の声で)という感じです。
どこを着地点にしても傑作ですが、最後に主人公に希望を持たせたところにイーストウッドの優しさを感じました(その後彼女が実際に生きた年月のこと考えると残酷ですが)。