アリス・イン・ワンダーランド/ウルフマン/時をかける少女

2週連続でダニー・エルフマン作曲の映画を鑑賞

アリス・イン・ワンダーランド(3D字幕):★★☆
自分の手は汚さず王位を取り戻そうとする美しい(だけ)の白の女王と、自分の醜さをイヤというほど理解していて、それがゆえに恐怖政治でしか人とコミュニケーションがとれない不器用な赤の女王の対立。本来バートンの作品ならば後者にシンパシーが向けられて、それがゆがんだ作品構造となって魅力となるのだけど(「バットマン・リターンズ」!)、この映画は白の女王は本当に手を汚さないだけの薄っぺらい人物で、かといって赤の女王への愛情は驚くほどにない(バートンの嫁のヘレナ・ボナム・カーターが演じているのに)。
この作品の主軸は人とは違うクレイジーな女の子の自己実現の物語としてのアリスの再構築にあるのだけど、マッドハッターの狂った世界ではなく、現実の世界に帰ってしまうところが狂った世界の住人だったバートンがマトモになってしまったことを示しているようで悲しくなってしまった。
猿の惑星』以降、バートンと元バートンファンの距離は開いているのだけど、今回で決定的になってしまった感じ。
3Dに関してはステレオカムではない、2Dからの3Dコンバートのせいか、あまり3Dが効果的に働いていないような気がした。やはり技術屋のキャメロンに比べると、3Dに関してはバートンはアマチュアか。


ウルフマン:★★★
こっちのエルフマンは試写が不評で一回音楽をリジェクトされてまた録音しなおした作品。たいていこういう音楽でトラブルがある作品のできはよくないのだけど(例:『タイムライン』)、今回はまぁ見られる作品だった。エルフマンの曲自体はおどろおどろしく効果的で、何をためらって一度リジェクトしたのか理解に苦しむところ。
科学の力で人間の獣性(これはもちろん性欲に密接に関係してくるわけだが)を抑圧しようとしたヴィクトリア時代のイギリスのゆがみの象徴としての人間の狼化を描いた作品。だとすればもっと理性と獣性(さらにふみこめばリピドー)の間に苦しむ狼男を描くべきだった。物語の主軸が父殺しというオイディプス的な物語にしてしまったために本来のテーマが矮小化されてしまった印象。まぁこぎれいにまとまったともいえるが。


時をかける少女:★★★
世の中の皆さんは『時をかける少女』という物語が好きなのではなくて、細田守の『時をかける少女』が好きなのだな、と痛感。新宿ピカデリーはもう朝10時の回しかやってなかったよ。主人公同じ女優なのに。
原田知世版の正統派続編。でもオリジナル見てなくても楽しめる作りになっているところは偉い。
仲里依紗が走る姿に安心して映画に身をゆだねられる気分になる。でもその疾走感による映画のスピードは彼女が背負う運命の重さにそがれてしまったかも。アニメ版の主人公のノーテンキさとは対照的に、本作品での彼女のなすべきことは大きく、責任が伴い、「現代の女の子」にあるはずのある種の軽さが感じられない。それは「女子高生」というイメージの問題なんだろうけど、アニメ版の「時かけ」の少女にあったあやうい軽さが物語をリリカルに進めて、悲劇に近づいていくのに対して、本作品は最初からあるべき悲劇に導かれている重さが漂う。
運命を変えられない残酷さと記憶よりも心に残るものがあるというメッセージ性はジュブナイルSF的でよい。