マイレージ、マイライフ/第9地区/シャッター・アイランド

会社ズル休みして『マイレージ、マイライフ』見たのだけど、平日なのにシャンテ1満席。世の中そんなに暇人多いのかと思ったら大学生はまだ春休みだったのね(3月末の話)
『シャッター・アイランド』はネタを微妙に割るので見ていない人は要注意!

マイレージ、マイライフ:★★★☆
資本主義の現代社会において、クビを切られるというのはすなわち市場において存在価値がなくなるというわけで、いうなれば社会的に殺されたも同然なわけです。となれば、この社会においてレイオフを宣告してアメリカ中を飛んで回るジョージ・クルーニーのキャラクターは現代社会の死神といえるかもしれません。死神というのはこの世とあの世の中継ぎをしてくれる存在なので、当然地に足のついた生活というものは求められません。何しろ宙に浮いてるのですから、常に。だから、彼は地に足の付いた生活を求めず、他人と距離をとるわけです。そして彼ーがパイロット(サム・エリオットだぜ!軍用機だろ、もはや!)に「どこから来た?」と聞かれて「ここが我が家です」と答えるのは、死神に相応しい住処はこの世ではなく空の上であるという当然の結論なのではないかな、と思った次第。
この作品が興味深いのはその距離感を否定も肯定もしないところ。人生はそのまま何も変化せずに水平飛行を続けて行くのだ、と達観しているところ。実はここが不満で、若干30歳そこそこの若手監督にはその視点は成熟しすぎだろと思ったり。『ジュノ』のラディカルな作風からは想像できないおちついた作品でやや肩透かし。


第9地区:★★★☆
究極的には相手と同じ立場に立つことというのは不可能であるので、差別というものは根絶できないのではないか、と深く考え込んでしまう作品なのだけど、一方で「もっとやったれ!」と思わず応援したくなるボンクラ青年が熱い友情に目覚める単純な話でもあったり。
「巨大資本による外国人(エイリアン)搾取」というテーマ、相手と同じ環境に身体の面から陥って初めて相手の立場というものが理解できるという物語の構造、とビッグバジェットの3D映画に対してロウバジェットのドキュメンタリータッチというアプローチは真っ向から相反するのにテーマや構造が『アバター』に共通しているところが面白いところ。しかも最後にパワードスーツが大暴れするところまで。つまるところSF好きは身近な差別の問題(アパルトヘイトであり、ネイティブアメリカンの問題であり、イラク戦争の問題であり)を自分の好きなものに入れ込んで論じちゃいたいのですな。
ネコ缶サギ、異星人間売春、人体破損の悪趣味なオンパレードとオランダに引っ込んだバーホーベンに通じるところあり。
語義的に正しい「B級映画」



シャッター・アイランド:★★★
シックス・センス』以降「サプライズエンディング」映画というジャンルができてしまったのだけど、シャマランのそれが凡百のサプライズエンディングものと存在感を違えるのは、サプライズエンディングに+αがあるからだと思うわけです。例えば幽霊譚だと思っていた『シックス・センス』があのエンディングのあと実は愛の物語であったことが同時に判明したり、『サイン』が宇宙人侵略ものだと思ってたら実は信仰の問題を真っ向から論じたことが最後に明らかになったりといった具合に。そういう点において、『シャッター・アイランド』は他の「サプライズエンディング」映画と同じく、その先がない映画。シャマランの映画はもう一つのテーマを確認するためにもう一度見たくなるのに対して、この作品は途中でトリックがわかってしまった時点で興味がなくなってしまう。
ナチネタにロボトミーと大好きなネタがあるのに、本筋には全く関係ないというのがオスカーとったスコセッシの怖いもの知らずっぷりか。スコセッシ映画なので主人公が他人に迷惑をかけるというテーマは相変わらず。