ゼア・ウィル・ビー・ブラッド

ゼア・ウィル・ビー・ブラッド(There Will be Blood)
★★
監督&脚本:ポール・トーマス・アンダーソン
出演:ダニエル・デイ・ルイス, ポール・ダノ, ケビン・J・オコナー

主人公ダニエル・プレインビューが石油利権を獲得するためにあらゆる手を尽くして他人を破滅させていく物語。はた迷惑な話である。
プレインビューは英語でつづるとplainviewとなる。「飾り気のない景色」という名前を持つ主人公の物語だから、提示されるがままにこの物語を受け入れればいいのだろう。だとするとこの映画は人間の強欲と身勝手さの究極である一人物について描いた作品ということになる。となると一代記、壮大なエピックだ。実際演出は荘厳で、大地の怒りをうなり声としてあげるようなスコアもエピックを盛り上げる。
ところがラスト、もはやネットで大ウケの「お前のミルクシェークをぜーんぶ飲んでやる、ずずずずずーって」以降のシーンで急にコメディ的になってしまうのだ、この映画。悲劇的だけど笑えちゃう状況。『リトルチルドレン』や『アメリカンビューティー』などで使われたトラジコメディ(悲喜劇)の手法だ。
自分はトラジコメディは好きで先述の『リトルチルドレン』や、ビデオスルーになった『ハサミを持って突っ走る』なども楽しんだクチなのだが、今作品はダメだった。それはこれがトラジコメディになりきってないからではないだろうか。弟の突然の登場と退場、息子の放火、列車置き去り、こういったシーンはギャグに出来るのだが、シリアスにウエイトを置きすぎて、「ドラマ」になってしまっている。エピックドラマとしてつむがれてきた物語がラスト突然トラジコメディの体をなすので、うまくかみ合わずに、映画として「えっ!?」という終わり方になってしまったのではないだろうか。というか自分にはそう感じた理由だと思う。
もう一点、この作品が好きになれない理由。それは強欲の究極である人物の一代記であるのに、その強欲の動機が3時間近くもあるのに一切語られていない点だ。何故人を破滅させてまで金を求めるのか?これと関連してプレインビューの人間不信、宗教不信の根本動機も語られていない。ただそういう人物として描かれるのみだ。ここが語られないので映画として核がないように感じてしまう。その見方は違うよ、といわれればまあそうなんでしょうと答えるしかない。でも自分は動機をキャラクターに求めてしまう人間なので、ここが描かれていない作品は空虚に感じてしまうのだ。
しかしあのラストはなんなんでしょうね?宗教を象徴するポール・ダノがプレインビューに屈するということから、信仰も金がなければもろく崩れるという「銭がないのは首がないのと一緒や」的な表現なのかしら?まぁこのポール・ダノのキャラクターも絶対的・盲目的な信仰が非常に気持ち悪く感じられましたが。

というわけでほんとーにスイマセン(誰に対してだ?)。自分には合いませんでしたと言う他ない。とにかく長いです。同じトーマス・アンダーソンでも世間的にダメといわれてるほうのポール・W・S・アンダーソン(『ソルジャー』とか『バイオハザード』とか『AVP』などの頭の悪い(褒め言葉)作品撮ってるニクイやつ)の方が好感を持てるのです。