隠し砦の三悪人/ THE LAST PRINCESS

隠し砦の三悪人/ THE LAST PRINCESS
★★★
監督:樋口真嗣
脚色:中島かずき
出演:松本潤, 長澤まさみ, 阿部寛, 椎名桔平, 宮川大輔

こんなこと書くとどこかからか石が飛んでくるかもしれないですが、『日本沈没』の2006年版リメイク、実は嫌いじゃありません。確かにオリジナルにあった「日本という国がなくなることへの恐怖」が全く描かれておらず、技術的には破壊のシーンは素晴らしいものの「それまでの日本人が持ってきた価値観が破壊される」恐怖がおざなりになってはいた作品でした。が、「日本人を助けられる方法を教えて。千人、百人、いえ1人だけでもいい」と丹波のオリジナル版のバナナの叩き売り的名演説をトレースした大地真央のセリフは実はこの映画の製作姿勢そのもののことを指していっているのではないかな、と思ったわけです。つまりオリジナルの『日本沈没』という映画のよかったところを「千でも百でも十でもいい、いや、一つだっていい」からトレースして、現代日本に甦らそう。でなければあの名作が凡百の作品の中に沈んでしまう、という精神です。オープニングや「この地方にはまだ被害はない」とか「何もせん方ががいい」といった部分にその精神が見られるわけで、少なくともオリジナルのよかった所のいくつかはうまく現代にトレースされ『日本沈没』のことを皆思い出したわけです。おかげで第二部も刊行されたし。
てなことで世間が言うほどに『隠し砦の三悪人』のリメイクが最悪の事態になるとは思っていなかったのですが、果たしてちゃんと楽しめる最低限のレベルはクリアした作品でした。まず『椿三十郎』のようにオリジナルの脚本をそのまま使わずに脚色をしたのが正しい!オリジナルの脚本で勝負したら今の日本の俳優でオリジナルの演技を超えられる人などいませんもの。その点をまるで勘違いしてた去年のリメイク版『椿三十郎』は無残なもので、織田裕二には「切れすぎる刀」の凄みなどまるでなく鈍らで、若侍衆もオリジナルのような各人個性のあるキャストではない、見栄えはいいけど没個性なキャスティングでつまらないものでした。
で、その脚色ですが、「秋月から山名を通り早川へ抜ける」というセリフはオリジナルでは三船演じる六郎太が言っていたのですが、これが松本潤演じる「山の民」である武蔵が言っていたので当初カチンときてしまいました。オイオイ、いくらなんでもそこは六郎太がその台詞を言うことで後半の関所抜けの知恵の伏線になるんだろ、なにやってんだい、てなぐあいに。ところがこれ、後半のオリジナル展開で武蔵が山名の砦を攻略する際に「切れ者である」ということを説明する布石になっていたのですね。ということで上手く脚色したもんだなと感心してしまいました。
さて『隠し砦の三悪人』といえば「裏切り御免!」ですが、これも山の民と城のお姫様とは結局は結ばれないという現実をペーソスをまじえて爽やかにこの物語を終えるのに使われていてよかったです。
織田裕二の鈍らな三船の演技コピーよりも、目力のある阿部寛の演技の方が迫力があり、三船に迫るものがあってこの点も満足です。また追っ手として因縁浅からぬダースベイダー(笑)を配したことで、逃亡のサスペンスに加えて因縁の対立の面白さも加わったと思います。
後半のオリジナルの展開は都合があまりにもよすぎて詰めが甘いのですが(馬死んどるやろーとか毒ガスが都合のいいときに出てきたり消えたりと)、黄金のトリック(ネタバレになるので書きませんが、恐怖政治の山名と民衆を信じた秋月の主の二項対立が巧みに描かれていて感心しました)はオリジナルを知った人間には「なるほどそうきたか」とひざを打たされたので差し引きゼロということで。
そんなわけで、意外に楽しめたというのが正直な感想です。オリジナルを超えることは出来ないけれど自分たちのできることはちゃんとやろう、そんな気持ちが伝わりました。少なくとも同じ脚本使った上にラストだけ改悪の『椿三十郎』の何十倍もマシです。『椿三十郎』に関しては罵倒してもしきれないぐらい腹が立って劇場で見た後直帰してオリジナル版見たぐらいなので、今回それがなかったということはうまくやれたということではないかな、と思うのです。
それより火祭りの歌が『キングコング対ゴジラ』のファロ島原住民の歌に聞こえるのは空耳?