クライマーズ・ハイ

クライマーズ・ハイ
★★★
監督:原田眞人
脚本:加藤正人, 成島出, 原田眞人
原作:横山秀夫
出演:堤真一, 堺雅人, 山崎努, 遠藤憲一, 田口トモロヲ

ワタクシ1979年生まれなので日航航空機墜落事故があった当時の1985年、6歳だったわけです。以前ちょいと書きましたが父親が公務員のキャリアだったせいもあって、わりとハイソな環境や人と出会う機会もあったわけですね。で、そういう記憶を紐解いていっても、あの当時ペットボトル入りのミネラルウォーターなんてものは存在してなかったと思うのです、おハイソな世界でも。だから山崎努演じる社長が常に車椅子に備えているミネラルウォーターが気になってしょうがないわけです。あるいは堤真一が演じる悠木が仮眠を取るホテルのようにこじゃれたインテリアのホテルは群馬なんかにあるハズはないのです。あるいはネタを割らない程度に書くと、劇中のある事故に登場する車はあの当時まだ走っていないはずなのです。さらに言えばあの当時の新聞社なんていったら煙草バカバカ吸いまくりで編集部なんて煙だらけのはずなんです。当時のインテリの髪型はあんなコザッパリしてなんかいなかったんです。何が言いたいかというと、1985年という時代の再現が不徹底なところにイラつかされるわけです。
監督の原田眞人は元々キネマ旬報に寄稿してたことから判る通りバリバリのシネフィルなわけで、『魍魎の匣』でもそうだったように「映画的記憶」の再現にこだわる人です(例えば『魍魎〜』だと阿部寛宮迫博之のトンネルでの会話シーンを『殺人の追憶』へのオマージュなどと言ってますが、出典はどこだったかな?)。でもこの作品は「映画的記憶」の再現、もっと言えば監督個人の嗜好に合わせた作りなどにするのではなく、「歴史的記憶」の再現を徹底するべきだったのではないでしょうか。

原作は未読で2005年12月放送のNHK版(傑作!未見の方はDVDで是非)は見ているということで、このNHK版との比較になりますが、その「歴史的記憶」の再現を含めた上でも、この映画版はNHK版に劣る作品だったといわざるを得ません。NHK版はかなり原作に忠実と聞いていますのでそれと比較した上での話になりますが、映画版の脚色ははっきり言って必要なものを切って、無駄なものを足したシロモノだと思います。具体的に言えば悠木の出生、社長のセクハラ隠蔽、悠木がダブルチェックにこだわる理由(こここそ原田監督のシネフィルの悪い部分が出ている最たるものだと思いますが)。ぜーんぶ無駄な贅肉。一方で悠木とその息子との断絶の理由をバッサリカットしてしまったことと、「クライマーズ・ハイ」の本当の怖さはそのハイな状況が終わった時だということを劇中で言及しなかったために、現代の登山パートと1985年当時のパートが完全に乖離してしまっています。1985年のあの事故がおきてからの一週間こそが悠木にとっての「クライマーズ・ハイ」であり、事故の真相というスクープを目前にして「クライマーズ・ハイ」が切れてしまったからこそ彼はああいう決断を下してしまったのではないでしょうか。
そしてもう一点、映画版では全く言及されていない悠木が遊軍記者になった理由と命の重みについての投書を巡るクライマックス。これこそ『クライマーズ・ハイ』がただの実録新聞社モノとは一線を画す核だったはず。これが映画版ではスッポリ抜け落ちてしまっています。つまり、ベタ記事で扱われる普通の交通事故死と世界最大の飛行機事故での死との間にある「新聞の扱う命の重みの差」の問題です。ここに新聞記者の良心の問題やメディアのあり方、メディアリテラシーの問題といった一番重要なテーマが込められていたのに映画版にはこれがない。脚色は加藤正人成島出のリメイク版『日本沈没』コンビ(後者は松竹の渾身の一作『ミッドナイト・イーグル』を自爆させた張本人でもあるわけですが)に原田眞人自身。あぁこりゃ最初からダメな目だったのか。ちなみにNHK版は『39-刑法第三十九条-』(これも傑作)の大森寿美男一人によるものです。

安作りのTVドラマの映画版が大ヒットする昨今、社会派の大作が作られて、ちゃんとお客さんを動員していることは映画ファンとしてはうれしいことです。事件を追う記者たちの熱意と混乱はこれまたシネフィルらしく『魍魎の匣』以来原田監督が借用しているポール・グリーングラス風の編集スタイルでヒシヒシと伝わってきています(でも所詮まねっこなので、ポール・グリーングラスの細かくカットは割るが必要なショットは全部押さえる、という真髄まではまねしきれず、余計なショットが挟まりすぎてる)。しかしこの作品は新聞記者の一週間を描いただけの作品で終わってしまっている。原作者の横山秀夫は監督に「君は『クライマーズ・ハイ』がやりたいのか?日航機墜落事件がやりたいのか?」と尋ねたそうですが、監督は後者だったようですね。圧力隔壁破損説に疑問を投げかけるラストなど見るとそう思わざるを得ません。
NHK版は前編・後編合わせて2時間半と映画版とほぼ同じ尺ですが、完全に別物になってしまったのは原作の解釈の違いなのでしょうか。

ちなみにNHK版では記者たちは煙草スパスパ吸いまくっていて暑苦しいベタっとした80年代ルックの髪形をしてましたよ!