シャンテ3本立て

日比谷シャンテの映画を3本。『フロスト×ニクソン』だけは別の劇場で鑑賞。シャンテは1・2・3とあるんですが、この順番って見やすさの順番でもあるんですよね。1>2>3の順でフラットになっていく。3の見づらさはなんとかならんもんでしょうか。


ダウト -あるカトリック学校で-:★★★
ケネディ暗殺の翌年、ということは1964年の話ですが、映画の背景には2003年にボストンのカトリック教会の神父が少年に性的虐待していたのをはじめとしてドミノ倒し的に明らかになった日常的なカトリック教会での少年への性的虐待とそのもみ消し事件があるのは間違いないでしょう。フィリップ・シーモア・ホフマン演じる神父の説教でケネディの暗殺が国をまとめた、とありますが、これは911後のアメリカと重なります。ということでこの作品は現在の視点で作られているのではないでしょうか。
変化を受け入れられない古いタイプのシスター(メリル・ストリープ)と教会を世俗化させたい新しいタイプの神父(ホフマン)の対立が話の軸。新しいものを排除するためにホフマンが少年に手を出したのではという「疑い」を使い神父を排除する。『クルーシブル』のような魔女狩り的ヒステリーを思わせます。しかしその確信であったはずの「疑い」に「疑い」を持ってしまったことでシスターは泣き崩れたのではないでしょうか。
映画そのものはなんとものっぺりとした印象で、凡庸な気がしました。というか疑われるのがフィリップ・シーモア・ホフマンってそりゃ疑わない方が間違ってるでしょ!


リリィ、はちみつ色の秘密:★★★☆
公民権が認められても黒人に対する差別は残っている時代の話。あるいは女性の権利などまだ確立されていない時代の話。そんな時代に黒人で女性という二重の重石を背負ったクィーン・ラティファ、アリシア・キーズ、末の妹が独立して立派な生活をしているというのはすごいことだ。彼女たち強い生き様(残念ながら末娘にはその強さがないのだけれど)のおかげで、父親にニグレクトされ虐待もされることを受け入れていたリリィは強い少女になり、これらに断固反発し、母親を信じられるようになったのだと思う。弱者を救うには強いコミュニティが必要だ、ということかな。となるとミツバチはそのコミュニティの象徴か。しかしクイーン・ラティファアリシア・キーズ、義理の妹になるジェニファー・ハドソンってどんなエンターテイメント姉妹だ!?
ダコタ・ファニングはいつの間にかVersion2.0にアップデートされていたがまだ大丈夫だ(何がだ?)


フロスト×ニクソン:★★★★
劇中でも例えられているが、この作品は言葉のボクシングである。ボクシングだからもちろんそれぞれに優秀なセコンドもいる。
アメリカのエンターテイメント事業に進出したいフロストとアメリカの政治に返り咲きたいニクソン。この二者がそれぞれに野心をもってTVのカメラの前で言葉をぶつけあう。TVが持つ物事を単純化させる機能によりニクソンから敗北の顔をカメラで抜いたら、あるいはウォーターゲート事件に関して「大統領なら何をやってもいい」という言葉をとったらフロストの勝ち。逆にウォーターゲート以外の業績を印象付けさせられればニクソンの勝ち。
実はウォーターゲート事件のことなどはテーマではないと思う。TVディベートに代表される身近な情報源であるTVが、物事を受け入れやすい形に単純化させ、実際の像から見えるものをゆがめてしまう非常にいびつで危険な情報源である(そしてそれを良くも悪くも利用できる人間がいる)ことを提示するのがテーマなのではないだろうか。この点、TVドラマで子役としてキャリアを出発させた(そして『エドTV』によりTVのことを理解していることを示した)ロン・ハワードらしいアプローチだと思う。ロン・ハワード久々の傑作!