96時間

96時間(Taken):★★★★

監督:ピエール・モレル
製作&脚本(多分紙ピラ一枚):リュック・ベッソン
脚本:ロバート・マーク・ケイメン

「えぇ〜お客様がご乗車の列車はミレニアムフィルム発、銀座シネパトス行きです。アメリカ劇場公開駅は通過いたしますので、くれぐれもお乗換えの間違いないようご注意ください」
例えばこの映画のプロット(元CTUのパパの娘がさらわれた!いざ奪還だ!それも一人で!)をセガールでやってしまうと、うっかり上の列車にダメーテルと一緒に観客は乗ってしまうわけである。
おそらくリュック・ベッソンが書いた脚本は「ジェイソン・ボーンの娘がさらわれてパリでお父さん大暴れ」という紙切れ一枚というぞんざいなものだったに違いないが、この映画がセガール映画の荒唐無稽さからかろうじてジェイソン・ボーンシリーズ以降のアクション映画の雛型であるリアリズム追及の作品に仕上がったのは、ひとえに主役をリーアム・ニーソンという実力派俳優に起用したところに大きい。こういう荒唐無稽な役どころに説得力を持たせられるのが役者のこれまで積み上げてきた貯金なのである(セガールでは債務超過だ)。自分を安売りしないところが役者の賢さということだろう。
導入部で主人公の能力を手早く見せつけ、のちの行動力に説得力を持たせているところに職人的うまさを感じる。

テンプトラックが『ボーン・スプリマシー』のチェイスシーンであることが丸わかりなのと、カーアクションの組み立てがまるで一緒なのがマイナスぐらいで、あとは久々に頭をからっぽにして見られる活劇らしい作品。快作。しかしベッソンは『トランスポーター』といいヒューマントラフィックに思い入れがあるのかね?