キャピタリズム/かいじゅうたちのいるところ

キャピタリズム マネーは踊る:★★★
『シッコ』に引き続いてマイケル・ムーアは「恐怖のプロパガンダ」に後半時間を割いて言及しています。今回は「恐怖のプロパガンダ」によりAIG他の金融機関への支援が強行された、という流れです。が、この作品自体が恐怖をあおるプロパガンダになってはいないか?と若干疑問符がつかなくもありません。「アメリカ人はバカだからこんぐらい徹底的に言わなきゃいかんのだ」という主張もあるかもしれませんが。例えば日本を理想視する姿勢や、オバマ政権へのオプティミスティックな考え方を見るに、いささかバランスを欠くかなと思わずにはいられないです。
金融の話自体が分かりにくい(デリバティブに関しては説明を放棄することがギャグになってるぐらい)ので、このわかりにくいシステムを作った人間を笑いものにするぐらいの精神がほしいところですが、それよりも怒りが勝ってしまったと思います。おかげで「お金を返して」のパフォーマンスは空回り気味。


かいじゅうたちのいるところ:★★★
イノセンスの消失についての話。「純粋」に子供であるということは社会の中での自分の立ち位置が分からず、世界が自分を中心に回っていると錯覚させてしまうもの。主人公のマックスがかいじゅうたち(正確にはthe wild things)がいるところに行く前に家族との関係にイラ立ちを感じていたのは、家族が自分の思う通りに動かないから。
かいじゅうたちのいるところでマックスは自分の精神の幼さの写し鏡であるキャロルと向かい合い、彼のわがままの被害にあうことで初めて自分が「王様ではない」ことを理解し、自分という存在は他者を思いやることで初めて社会にいられるのだと知って島を去る。
イノセントであることは、無垢で無知であるがゆえに、他者を傷つけかねないワイルドなことである。そのワイルドなものを克服して人間は人間たれるのだということを描いた寓話。イノセンスの消失は決して悪いことではないというメッセージが隠されていて、大人になれない人間(まぁ自分もその一人だが)が多い今映画化されることに意味がある作品。
でもこの内容なら90分の尺が理想的かと。