インビクタス/(500)日のサマー

インビクタス/負けざる者たち:★★★☆
ミスティック・リバー』以来剛速球を投げ続けてきたイーストウッドのグリップが緩んだ瞬間を見たような気分。
オープニング、サッカーをプレーする黒人たちとラグビーをプレーするアフリカーナ(白人)たち。それを分断する道をまっすぐと走るマンデラが乗った車。完璧な構図である!
今回、イーストウッドは物語るのではなく、「構図」をみせることで映画を展開しているような気がする。それは例えばラグビーのルールを教える南アフリカ代表チームたちとその教えを受け楽しそうにプレーする構図。最初はピリピリした関係にあったSPたちが一緒になってラグビーに興じず構図。恐る恐る白人のタクシードライバーのラジオを聞いていた黒人少年が、やがて近付いていき、最後は一緒になって南アフリカチームを応援する構図。すべてがマンデラがかかげるreconciliation(融和/和解)の精神を構図化したもの。
しかしこれら構図の連続の中には、何がマンデラに白人たちを許し、ともに新しい国を創っていこうとさせたのかが欠けている。それは多分本来のタイトルだったHuman Factorなのだろうけど、マンデラのinvictus(不屈の精神)とhuman factorのバックボーンはなんだったのか?そこに最後までイーストウッドは到達できなかったような気がする。
あるいはその部分に踏み込む意図がそもそもなかったのかもしれない。制作された時期を考えると、南アフリカのreconciliationの問題はそのままオバマの選出によって保守とリベラルに分断されたアメリカの問題を浮かび上がらせるからだ。ラグビーという問題に仮託されているのはアメリカが現在抱える社会問題と戦争なのだろう。イーストウッドオバマにこの問題を使って国民をひっぱっていけとメッセージを送っているのではないだろうか。


(500)日のサマー:★★★☆
「われは運命の支配者なり」という『インビクタス』観た翌日に、「自分には運命の恋人がいる」と考える運命論者の話を観るも何かの偶然でしょうか?今回はリアリスト対ロマンチストの物語です。
これはガールフレンドがいたことのある人のための映画。ボーイフレンドがいたことのある人のためのものではない。つまり男のための恋愛映画。しかも恋人がいたことのある男限定。なので自分は本来なら映画のマーケット対象外となるのだけど、映画の作りが非常にユニークだったので楽しめました。
恋人がいたら楽しいだろうこと、つらいだろうこと、そして別れがあってまた出会いもあるということ。あたりまえのことをあるときは誇張を交えて(大好きなミュージカル的バカ演出!)、あるときはリアルに描いてます。また、時間軸を入れ替えることで熱々の時期と冷めた時期では同じ景色でも見え方が変わることを見事に表現していました。
女性からしたらとんでもないビッチだと思うのだけど、男はこーいう面倒な女に弱いんだろうな、とも思った次第。全てはズーイー・デシャネルの不思議ちゃんオーラ(サマー効果)によるもの。女優賞は本来この人でしょう。
で、リアリストとロマンチスト、どちらが最後に勝つのか?これがうまい!最後はうれしくて笑ってしまいました。