告白

告白:★★★★★

監督&脚色:中島哲也

あんまり素晴らしいのでこの直前に観た『アイアンマン2』と『アウトレイジ』の印象が「どっかーんといきますよ」といった具合に吹っ飛んでしまった。この間書いたとおり今年のベストワン候補に決定。
この映画を観てまず思い浮かんだの父性の喪失について。この作品、女教師はシングルマザーとして娘を育て、犯人Aの家庭にも犯人Bの家庭にも父親の姿はない(もしくは影が薄い)。母親の愛はあまりにも盲目的に息子を愛し、子が殺人を犯したことを受け入れることができない(あるいは無関心である)。殺された娘の父親は犯人を赦せと教師に諭しても彼女はしたたかに復讐を企てる。子供を「育てる」、もっと大きな意味では子供を「守る」のは現在社会においてもなお母親の役割であることが極端な形で示される。子供と母親の関係性の強さ(それが一方的なものであったとしても)に対して、父性は太刀打ちできず、その存在感は映画を通してないに等しい。父性がギリギリのところで人間であろうとするところを描いた『さまよう刃』に対し、この作品はそのラインを超えた母性の狂気に近いものを描いたという点で『母なる証明』に近いかもしれない。
次に顔のない集団の暴力性について。女教師の告白の後で、犯人である少年は執拗にクラスメイトからいじめを受けるが、監督は意図的にいじめをする生徒の名前を出さず、顔すら他と見分けがつくような演出はせず、一種の「名無しさん」状態でいじめに参加させる。携帯電話を中心にいじめが加速化しているところからもこれはネットの炎上事態を一つのクラスというコミュニティで再現した、非常に現代的なシチュエーションといえる。
最後に結局誰も相手の真意など理解できないという点。本編中の「告白」はむしろ「独白」に近い。女教師の「告白」、犯人たちの「告白」、少女の「告白」。いずれもその誰に向けるでもない「独白」がなければその当事者の動機と目的は推測するしかない。女教師の告白を女生徒は好意的に解釈するが、実際は女教師の新たな告白を聞くまでそれは「解釈」でしかなく、相手をわかったつもりでしかない。少年の抱える孤独をわかったつもりの少女の告白は、その少年の告白によって裏切られる。どこまでも誤解を続け我々は究極的には孤独であることを示したハードボイルドな傑作。・・・なんてね。
ところでこの映画はR15という映倫指定をくらって15歳未満は鑑賞できなわけだけど、中二病のイタイタしさ、考えの浅はかさ、わかったつもりぶりを真正面から描いているので、これらに対する警告の意味も含めてむしろ13歳の少年少女に観ていただきたいのだが。